10 感情を感じる・けれど人前では出さない。

感じる感覚には、もともとポジティブもネガティブもない。
全ての感覚や感情は、自分のために必要な大事なシグナル。

だから「感じるままに生きていこう」と説いている師もいる。

ありのままに生きる。そんな言葉も、自分が感じたことをねじ曲げないで
感じるままに生きる状態のことを指すのではないだろうか。

 

自分にとって心地よい感情と、不快な感情があるけれど、
不快な感情がきたとしても、なかったことにしたりしないで、しっかり感じてあげた方がいい。

不快な感情は、例えて言うならば「うんち」のようなものだ。
生きていれば、誰だって作られる。恥ずかしいことでも、悪いことでもない。

子供の頃は、トイレでうんちをする人を冷やかしたり、バカにしたりしていじめる子がいたかもしれない。
でも、大人になったら、うんちをすることは恥ずかしいことではないというのは、常識だ。

不快な感情は、いわば「うんち」と同じ。
作られたら、早めのタイミングで出してしまった方がいい。

不快な感情が自分にあることを認めず、なかったことにして、お腹の中にしまい続けたら、そのうちお腹がパンパンになって、人前で漏れてしまうかもしれない。

負の感情を溜め込んでいる人は、あるとき、ちょっとしたきっかけで、人前で爆発してしまうことがある。
きっかけは、ちょっとしたことだけど、溜め込まれた感情が爆発するので、自分でもびっくりするくらい怒ってしまったり、取り乱してしまったりすることがある。

その自分にびっくりして、負の感情を出した自分を否定してしまう。
否定してしまうと、出したことにならない。でた「うんち」を、また中のなかにしまってしまうようなものだ。

 

負の感情は、その存在を認めて、早い段階で出してしまった方がいい。
大人の世界では、トイレは我慢しなくていいというのは常識なんだ。

でも、トイレを我慢しないということと、うんちを人に投げつけてもいいということは、話がちがう。
だから、負の感情の存在を認めて、早い段階で出した方がいいという話は、
負の感情を人にぶつけてもいい、という話とはちがう。

トイレは、個室に入ってするからこそ、誰にも迷惑をかけない。
同じように、負の感情も一人の空間で出して、自分のこととして、自分が見届けてあげればいい。

負の感情の存在を認めてあげて、感じてあげて、あとはただ、水洗トイレと同じように流してしまえばいい。

流してしまったら、通常はそれ以上、分析も反省もいらない。
これが自分なんだなー。と認めてあげればいいだけだ。

人間は生きていれば、誰だってうんちが作られるように、負の感情も作られる。
例えばうんちに血が混じっているとか、あまりにも尋常じゃない状態だったら、分析や対処が必要かもしれないけど、負の感情も、あまりにも尋常じゃない場合意外は、ただ認めて、流してあげればいい。

あぁ、これが人間か。これが私なんだ。と認めて流してあげるようになると、
人が負の感情を抱いているのを見たときも、人間なんだから、そんなときもあるさ。と流してあげられるようになる。

もし、負の感情になった出来事に関して、出来事そのものを流すわけにはいかない!という場合なら、
負の感情の勢いを使うことなく、冷静に、思いやりの気持ちを持って話し合えばいい。

相手が冷静になってくれるかどうかが問題なのではなく、自分の心の中に平穏があったほうが、どんな話し合いもスムーズに行くことが多いだろう。

 

人は、自分に自信がないと、感情の勢いを使って演出しながら、相手を落としたくなるものだ。
相手の価値を否定すれば、自動的に自分が肯定される。そこに感情をつかった演出が入ると、より説得力が増したりもする。

そのやり方も悪くないけど、結局この世は波動なのだから、自分がしたことは、いつか自分がされることになるという伝説も、あながち間違っていないような気がする。
だから、相手に勝つためだとしても、自分がされたくないことを人にしてしまうと、いつか自分が愛ばされる日がきてしまうかもしれない。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です