辛いことは、なるべく感じたくない。
これは、誰しもが思うことだ。
だから私も昔は、どんなに辛いことがあっても、辛いと感じない人間になりたいと思っていた。
それができたら、幸せな人生を歩めるって思ってた。
そうやって、どんなに苦しいことが起きても、我慢して、クールに振舞っていた。
そしたら、幸せな人生になると思ったのに、なぜか次々と、もっと苦しい出来事が起き続けた。
きっと神様が「目を覚ませ!」と、私のほっぺを叩いて、私を起こそうとしていたんだと思う。
感じる感覚に、もともとポジティブもネガティブもないし、2つに分けられているものでもない。
だから、辛いことを感じないようにするということは、感じる感覚に麻酔注射を打つようなもので、
同時に、嬉しいことも楽しいことも、感じなくなっていく。
だから、辛いことを感じないように我慢して、クールにしていた頃は
自分が何をして楽しいのかもわからなくなっていた。
だから、全く楽しいと思えない仕事をしていた時期もある。
でもそれが、楽しくないということ感じる感覚が鈍ってしまっているから、
ただ淡々と職場と家を往復し、何年か経ったとき初めて「なんで私はこんな仕事してるんだろう」
と気づくことができた。
感じる感覚に麻酔が打たれているから、仕事も人間関係も
何にワクワクして、誰に心惹かれるのか、全くわからない。
そんな状態では、直感がまったく働いてない状態だから
ただ人の言うことに流されて、本来の自分の道を生きられない状態になってしまう。
だから、どこまでいっても満たされた幸せにはなれないんだ。
どおりで、神様は私のほっぺをバンバン叩いたわけだ。
辛さや悲しみも、喜びや嬉しさも、すべて自分の人生を前に進めてくれる大切な合図。
だから、感じる感覚は常に活性化されていた方がいい。
交通事故のような痛みを体験するのが怖くて、
日頃から全身麻酔をかけてたら、健康が保てない。
もちろん、人生には耐えがたい苦しみがくることもあるけれど、
そのときに、感じる感覚が活性化されていれば、その苦しみの意味を知り
自己治癒能力を発揮することもできる。
耐えがたい苦しみの中で、一筋の光をみつけ、そこに手を伸ばすこともできるかもしれない。
最初から全身麻酔状態だったら、自分のどの部分が、どれくらい傷をおったのかも分からない。
そしたら、どう対処していいのかもわからない。どんな助けを願えばいいのかもわからない。
苦しみの意味がわからないままだったら、わかるまで苦しみがきてしまうかもしれない。
苦しみの中で差し伸べられた、一筋の光にも気づかないかもしれない。
だから、苦しみを封印してしまうのではなくて
喜びも苦しみも、しっかり感じて、苦しみを喜びに変えていこう。
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